around サブカル ch 

〜コミュニケ/サブカル/音楽/会社人生などを語るをしてみんとして〜

toianna.hatenablog.com

ここに書かれていることに何も付け足すことはありませんが、本当に

そのとおりだと思います。ただ、降りたら負けというのは新入社員みんな

そういうプレッシャーで生きてるから... とくに有力企業は大切に育ててきているから。

 

本当に何も結果教育機関はこういうことを教えない。一番の本番期間では、負けること、逃げること、姑息であることが手段として大事か...

 

他の有力企業もそうだけど、特に電博はただエリートだっただけでなくて、お洒落エリート、エリートなのにイケメン、エリートだけどアートもできます的な人が入りますので、特に降りれない。周りもおなじチキンレースしてるからね。

 

もうエイヤですが彼女の自殺は本当にようやく鳴った警鐘ですね。

コミュニケーションはなぜ伝わらないか

ついでに

 

テストと違い、数値化のプロセスが厳密なわけではないです(そんな暇もなければ、コストも払えない(と思っている))

 

100点満点で10点ぐらいの人と10点ぐらいの人が会話しているコミュニケーションに教科書もへったくれもないわけです。50点と50点ぐらいになってようやく成立する。

 

でも、多分結構な勢いで世の中は20点と20点ぐらいの会話が8割です。

でも、それを意識すること自体はできるはず。だけど、結局、そのコストを払ってやる覚悟のある人はいまいないんだな。

コミュニケーションの教科書とは??

コメント欄に書けなかったので、こっちで。

 

 

rlee1984.hatenablog.com

 

上でコウモリさんの言っているコミュニケーションという話題でおもったことです。

 

コミュニケーションの教科書を作りたいと言っていること自体、面白いなと思っていて、結局、社会はコミュニケーションですべて言い尽せるぐらいコミュニケーションって大切だと思います、の上にあまり体系化されず(されているものはあるが浸透しない)なぜなのかというはよく思います。

 

社会に出て、おまえの日本語はわからないと言 われつつ、いままで、ほとんど、結局論理的な思考を文章化し、それをもとに人に物事を説明する、あるいは、情動に訴えるといった教育は、受けていないと思 います。

 

コミュニケーションにはいろんなパターンがあると思いますが、大きくは①感情を中心とした、プライベートなコミュニケーション、②ロジックを中心としたお金の発生するようなコミュニケーション。

 

場面にもよりけりですが、シリアスなのは②のコミュニケーションだと思います。②について書きます。

 

コミュニケーションは伝わらないというのは、仕事をしている人間であれば、誰もが肌身にしみて知っていることです。日々伝わりません。そして伝わらない前提でどれだけ動くかが大事なのかなと思います。

 

自分は、コミュニケーションは難しい割に、「何をいったか」だけでなく、その実、「誰が言ったか」「何を経験した人が言ったか」あるいは、いままでの「何をいって」「何をしてきたか」の歴史をベースに積み上がるものだったりします。

これらは、複雑に絡み合うと思います。でも、基本は「何をいったか」だとおもいます。

 

「何をいったか」がなぜ教育できないか、これが気になります。

 

コウモリさんのだしている現国の例は少し的を得た例ではないと思います。気になったので、考えてみました。まず、国語のテストはシ リアスな場面でのコミュニケーションではないです。皆が受ける一斉テストである割に、どこのだれがつくったかもわからない方法で、(想像に難くないです が、全くシリアスなコミュニケーションを前提としない、象牙の塔から一歩も出たことがない人が高校生向けにつくった)テストです。

 

 それに対して刺さる下記の授業を紹介する文章がありました。MBAでは、ある意味社会のそのシリアスなコミュニケーションを体験してきた人が集まって、改めて、そのコミュニケーションや思考をブラッシュアップしようとする、寺子屋なので、センター試験とは本来目ざすものは共通なのかもしれないですが、実際の内容が全く違っていることでしょう。

 

コミュニケーションについて教科書をつくろうとなると、結局いま、

 

 

領域をしっかり書き切っているものは少ない

 

こういった状態だと思います。明快な回答をあらゆる人に対してはまず答えれない。

一番シリアスな状態に対する回答はばらばらとある(そして以外とそれは答えに近い状態)で、回答出来る人は、回答できる教科書をあらゆる人に提供するような時間を作れていない。

 

 

INSIDE INSEAD: INSEAD 授業紹介:M&As, Alliances, and Corporate Strategy (SGP)

 

 

とにかくハードコアな内容を、これでもか、これでもか、と詰め込むので、が営書やコンサル本でも、この領域をしっかり書き切っているものは少ないと思います。そういう意味では、とても勉強に なった授業でした。んばってついていくと得られる ものは多いです。世の中のいわゆる経

 

とはいえ、授業の中で「でも、今学んでいるこれらの知識が本当に役立つのは、みんなが卒業して10年後 ぐらいかもしれないな。」と教授はつぶやいていましたが、確かに経営企画等の部署に配置されない限りは直接の恩恵はしばらくなさそうです。それでも企業運 営の観点で、これらの原理原則を理解していると、より企業の行動が明確に理解できるのではないでしょうか。

 

 

また、提供していこうとすると、基本的に実現しようとする層まで到達しません。

 ひょっとしたら、下記のような形でばらまけるのかもしれませんが、オリラジ 中田敦彦しかできないと思います。

 

「何を経験した人が言ったか」を人は見るので、あらゆるものを経験するのが無理であるから、どこかで区切って伝えることが一番難しい。

 

まず、「経験」した人が少ない。その中で、伝えようという仕事のハードルの高さ、その伝わらなさのめんどくささから言って。

 

matome.naver.jp

(その他の参考記事)

 

www.4696.co.jp

クリティカル・シンキングの心得 -効率的に正しい結論にたどりつくための論理思考 | 特集 | GLOBIS 知見録

 

http://ecx.images-amazon.com/images/I/51-lWx66ITL._AA324_PIkin4,BottomRight,-59,22_AA346_SH20_OU09_.jpg

 

 

 


 

 

 

 

aaa

http://getlife.hateblo.jp/entry/2015/02/01/041509

 

彼らにとってはおそらく、見えないこと=存在しないこと、なんです。だから、SIerの仕事は自分の経験した範囲でしか語れない。過去、paizaの記事に何度かツッコミ入れましたが、大体の結論は「狭い経験でしかSIerを語らないし、きちんと業界分析ができてない」です。

これ、まさにこれ、ペーペーのコーダーのくせに、俺の書きたいコード掛けなかったんすわー的な、20倍の生産性だせるんですがー的なsingle coder says  compaiments which he says simple say i cant do what i want to do.very childish idea shit. if they can make not codes only but also implements theirs ideas to launch a business . its  great. but most of them dont do that. they jerk up what he wants only . Indeed they make up codes efficiently .But the business is not cosists of the codes . its infulenced by political or some clients power balance or their financial or technical debt. The 2 million over theme can be handled or processed only by technical terms but also contorled by political or tactial themes.Just nerdy coder dont care or dont know or dont aplied to such a warfields.they cant imagine how its difficult how its make money and how its not  pure .

はてな村定点観測所:電通と博報堂は丸投げで中抜きしかやらない 

に対するガチ反論( utter discomplaiment)

COPYWRITERSBLOG:本当に「電通と博報堂は丸投げで中抜きしかやらない」のか

 

俺の書き方の問題で、簡単そうに見えるかもしれません。実際にはかなり大変なことをやっています。大きなひとつのアイデアを決定するために何度打ち合わせ するかわかりません。★アイデアという正解のないものは、網羅的にべつの可能性を追求しないかぎり、確信をもった提案に昇華できないからです。
すべての★進行管理だって、大変です。本当に。営業は、制作とクライアント、そして外注先の間を一日いったりきたり、月曜から金曜まで家に帰れないなんてことだってざらにあります。

 

not easy-way but hard thing its is. to facilitate many ideas and make it tangible is very tough work. facilitation is dealing with the emotion of cient ( even if its not good ).

No correct single answer there . we should end up the meeting and fulfill the ambiguous matter into a concrete plan. we should finalize or imagine the Gap between the clients' ideas

受託開発の現場の怨嗟の声を度々聞きますが、「お客が要件を決められない」「SEが仕様を決められない」なんてあります。オッサン自身が淡々とこな すだけで仕事ができた、なんていうのは新人時代のカンタンな仕事ぐらいしか無いので、相当恵まれた職場だったのじゃあ無いのかな。右も左も分からない、新 人時代の経験で語っているのかもしれませんが。

 

 SIerの仕事でも、当然誰かが動かなければ仕事は進みません。そして、大体の場合は自分が動かなければいけないわけです。

 

 ほんとそう、the curse words "the clinet cant make a concrete proposal or SE cant make specification . but its very difficut not like the technical matters.

technical matters are always concrete and visible . work or not work.

 

yep in SIer ppl are making tough decisicon QTP and its up to the SI

what fuckin coop-slavers we a are

i wanna go & stay in abroad. its a bridge to touch  the foreign working environment or ppl there. The narrow mind or slave-like view of the Jap ppl is caz of they see it very natural and overfit that fuck'in environment.

 

too narrow view points of us is the refllection of submissive / non-thinking sheeps of our mental.

 

 

プロブロガーってか血と骨で書くのがブログだぜ

http://www.open.sh/entry/20140605/1401909240

id:toiannaさんのブログ面白い。

まさにこれを言いたくて言いたくて、って言うところでした。

 

プロブロガーというか、ブログという場所で、深さ2ぐらいのえぐり方をしていて、なんかぬる~いブロガーのためのブログってつまらないっす。

 

梁石日血と骨で書いたり、西村賢太が書いたような、別にサラリーマンやってようが、ブロガーやってようが、そいつの行動の深さをそのもので血と肉切って文章書くってのは鉄則だと思う。

暇な女子大生のクソブログも、逃げ出した町山智浩も、何もかもつまんねーのは、ようはギリギリの体験書いてねーから。

 

 

こんなんゴロゴロいるわけよ。書かないけど。かけないから。

それを文章に昇華させるには、時間が必要で澱を貯めまくって一発で発射する。

それが、文学だったわけっすわ。毎日毎日平板なブログに落とし込めるレベルの体験を書き連ねている暇があるやつが、上のような濃い体験をしている時間も感度もセンサーも運も、辛さも喜びも知らんわけだ。

 

 

 

現代はすでに、軌道修正を努力する複雑な形態の努力が一般の人にも求められる?

コレを見て、一概に否定しがたかったので一旦書き散らしてみた

 

現代はすでに、軌道修正を努力する複雑な形態の努力が一般の人にも求められる?

岡崎慎司(愚直な人が才能を徐々に獲得するパターン)/錦織圭(天才が地道な努力を重ねるパターン)〜

 

最近の岡崎慎司 or 錦織圭の活躍とかを見ていて、勝手にこう分類した。岡崎慎司は、「一生ダイビングヘッド」と言われる泥臭いプレーヤーであった。彼は最近は足技を獲得し、大量にゴールを生んでいる。

逆に錦織圭は天才と言われた能力を、マイケル・チャンコーチの地道な特訓と掛けあわせて、一段ステップアップした。

才能を強化する努力に地道さは必要と結論づけると簡単だ。が、私はちょっと違うと考えている。岡崎慎司選手は元々泥臭いだけのプレーヤーではなかった。足技もあり、ただ、それよりも、自分の強みとした泥臭を優先させただけであって、努力6才能4ぐらいのプレーヤーが、努力7才能3ぐらいの見え方をしていただけだと考えている。一旦7の方を強化した後、もともともっていた4を足して、11のプレーヤーと化した。と言った具合に、ただ単なる闇雲な努力をしていただけの選手では絶対にない。

錦織選手はその逆であるが、彼は天才が努力を足したというパターンなのであまり一般化できない。

ただし、愚直な態度が出す結果はあるのでは?〜下手な考えよりやっぱり手を動かす(最初はそう?)〜

1 昔、Numberを読んでいて、長嶋茂雄が水も飲まず1000本ノックをくらい、

  その中でZoneという感覚を取らまえた、という記事があった。

2 スケートの清水宏保もブラックアウトするまで練習を重ねた。

3 「賢いやつはずるをする」愚直にやるからこそ出る結果があるという研究者の声

斎藤孝が書いた本の中に人足の人が歌を歌いながら、単純作業をすることによって、その作業を喜びへと昇華させる事ができたと言っていた。ヘタをしたら、オウムがやっていたことや、狂信を生むのかもしれないが、プラスに転化する可能性もあるのだろう。

単純作業を喜びに変えるミニマリズムもある

現状日本国で禁止の例が発せられている「踊る」という行為にもコレに通づるものがある。ただし、只踊るわけではなく、その中にはミニマル音楽と結びついた快感、エンドルフィン?か何かと結びついた一定の何かがある。

 

といいつつ只の努力が本当に成果を生むのか、考えながら修正するチカラも大事では?

永遠の0が正しいのかどうかはわからないが宮部 久蔵は、「隠れたところで物凄い努力をしている」x「(安易に流されず←むちゃむずい)正しい事を考え貫く」という人物として描かれている。

この人も努力をしながら、ものすごく考えぬいたひとなのだと思う。でも、結局汎化ができていないような気がする。根性のような反復練習も大事だし、それをコントロールする頭も大事だけど、それを両立できるのはかなりすごい人になってしまう?

教育として汎化できないものかというとそうでも無いと思う。このyoutubeの形式は単純に、「(安易に流されず←むちゃむずい)正しい事を考え貫く」をaddすればよいのだろうが、この一定レベルを超えて、その上のレベルで苦闘するような戦いにおいて必要とされてくる。居酒屋メソッドでも一定レベルを超えれてしまうので、(←ただし、現代社会ではこのレベルだけだと戦えないのかもしれない)一部の人には受けてしまうのだろう。ただ、その上のレベルに持っていくためには必要な気もしてしまうし、一概にダメと言えるようなものでもないような気がして、悶々としている。