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〜コミュニケ/サブカル/音楽/会社人生などを語るをしてみんとして〜

村上春樹が面白いなと思ったきっかけ 〜村上春樹の成功ジャーニーのもたらすプラス作用 〜

18. 人生は楽しむものであって、耐え忍ぶものではない。

ゴードン・B・ヒンクリー(モルモン教第十五代大管長)

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http://aniram-czech.hatenablog.com/entry/2013/11/02/111443

村上春樹のアンチとシンパ(って言葉がすでにアレですが)を書いておられるすごい納得感のある記事でした。

 

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村上春樹の胡散臭さから来る遠ざかりと、比喩のうまさ、言葉の使い手への引きこまれ

私も(といっても、すでに20ユーザの方にしか見られていない小さな主語ですがネ、haha)村上春樹は最初は村上春樹が好きな奴が嫌いというこれまたよくある理由で嫌いでした。確かにノルウェイの森を直ぐに読んでやめたような、という理由と、村上龍のゴリゴリのハードボイルドの方がはるかに気分にあっていたという所があります。

 

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村上春樹がウイスキーがわざわざイラつくようなわけわからん名盤を女と一緒にのんでいるような情景で描くとすると、村上龍は、ウイスキーの瓶の破片で傷作って、そこに破片を更に塗りこんで、絵の具を塗りこんで、傷口をタナトスで、縛り付けましたみたいな?意味不? いるような、そういう漢な小説を、ゴリゴリ、強烈に書き続いっているのがすきだったという点です。

 

大学3年ぐらいになり、村上春樹を読んで思ったのは、wikiにもある、比喩のジャンプの距離の見事さです。

 

◯を✕のように、の◯と✕の関連性のなさをひもづけるジャンプの距離の大きさの連発っぷりを、例えば、私が関西の子供として感服した、お笑いの今田が、話す言葉がすべて、面白さを含んでいるような見事さ、私が音楽の分からない大学生として聞いた、アジカンが貫いたような、1曲目から13曲目まですべて、名曲みたいな、偉大な人に見られる、外すことのない、面白さの連続の強烈さであったような気がします。

あとは普通に、ペニスとかいいながら、それがエロへと発展していく裏切らなさと、全体的に意図的に抜かれた日常のゴタゴタしためんどくさい市井の民が抱える、あれやこれやを煮沸して、ただただ、軽やかに成功が連続して(鬱だったりなんだったりと、文学的におしゃれな失敗は存在する)行くという形。これがすごく一時期助けになった。

日本に漂う失敗の先に成功があるというよくわからん巨大な嘘

 大学の時、なんとなく地にまみれる活動というのをやってみた。厳しいバイトとかをやって、厳しい体験をして、なんか得られるとか。が、思ったのだが、失敗というか、うまく言っていない体験を積み続けると人間まじで、どうもこうもいかんくなる。

軽やかに成功してしまう。これが実は人にとってすげー大事。特に、何となく世の中的にには、厳しい思いをして、一人前になるという発想がある。

成功しない、苦難と、リア充がいない、日本文学 & そもそも成功体験もなんもない国語科のセンコー

我々はセンター試験の国語科や、三島ハラキリ先生(この先生も敢えてしていた)、夏目先生、皆とりあえずリア充には程遠い生活を送る、艱難辛苦を、うつうつと書き散らす、コレがブンガクであると我々は教え込まれる。

軽やかに成功したりするとまるでバチが当たるかのような勢いだ。残業大好き、特攻大好き。成功する保証を彼らが持っているわけではないが、とにかく教科書的にはそういう文脈。辛さ、痛さ、傷あたり大好きな日本のJ-pop((笑))←浜崎あゆみ大先生

これらにまみれていると一体何が大切なのか分からなくなる。クソにまみれて、その後に成功するという物語じゃなくて、いきなり10人でじゃんけんしている所を一人で勝ち抜いて、ぶっちぎるといった、そういう人生観(感)、突き抜け感というのをとになく教わってこない。

とにかく成功(性交)するという勝ち組って重要なんじゃ?

村上春樹はコレだと思う。いきなり鬱々としながら、成功しまくる。彼が好きだというグレート・ギャッツビーがこれにあたのだろう。

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そもそも日常的に我々、小学生から、成功しない体験をたくさん浴びせられる。上がいて、上がいて

 

その体験を積み上げた先に何があるのかというと、特に何もない。一番大事なのは成功した人を真似ることであって、そのアレンジ時に失敗をして、自分流に事を進めるのはありだが、いきなり失敗のゴミ山とクソみたいな嘘の成功像 ←クソ芸能人、文化人、no nuke のおっさん、くそJpopのゴミ山を見せられて、すごい遠回りをぶっこかされる。

村上春樹は意図的にだと思うが、それらを煮沸して、嘘くさいサイドに振りきれるまで、すげー生活を書き込んでいる。でも、このようなストーリーってみんなすげー憧れてんじゃん。オシャンティすぎるブンガクで色付けされていなかったら、このストーリーって成功をイメージする(うそでも)一つのイメージ像になるんじゃないかと