村上龍の底辺をはうような、村上春樹の頂点をふらふらとする小説から得た・なかったもの
現実世界で一定の安心や安定をもらえないと、芸術は楽しめない。。。。
http://anond.hatelabo.jp/20140330071955
「その母親は化粧気がなく、部屋着も同然の姿をしていた。顔つきは暗く、目に力はなく、何もかもが灰色でそそけだっているように見えた。親しくなりたいタイプの女性ではない。」とかなんとか。
「そそけだって」の所には傍点が付く。英訳されたら、この部分だけ全部大文字になる。
村上春樹は何も悪くない。他の作家なら違和感を覚えなかった訳でもなかろう。 ただ、ずっと好きだった作品を久しぶりに読んで、ここまでがっかりしたのがショックなのだ。
この感覚がとてもわかる。大学を卒業し、就職活動戦線をなんとか乗り切って、会社に入社したころ、同期となんかよくわからんけど、大学にもなかったような、わいわいした研修が終り社会の(上の人圧倒的な力と社会にでる孤独)洗礼を浴びていた。寮に戻ると、物凄い寂寞が襲ってきた。多分もうすでに鬱の症状だったのだろう。この後私は何をして、何物になるのか。そして、俺の根底の自分嫌悪。
この頃、色んな音楽(underworld/ sakanacion)とか、小説(舞城とか、村上春樹#そもそも村上春樹は世界観というより、比喩のうまさを楽しむものでしたが。。とか色んなもの)が全く読んでも何も身に入ってこなかった。
自分を作り上げるものは、プログラミングのちからであってrails C C++ perl java/acitonscriptこれらすべてと、訳わからんフローチャートと上司の罵声と、研修と、えらく自頭のよい人達と従順にいきないと首にされるのではという恐怖と。病気と。
このようなものを前にして、何もブンガクやゲージュツが自分にエネルギーを与えるものでもなく、なんでもなかった。そのときに存在するのは知識、知恵、友達のヘルプ、人の輪、縁だったり。
しかし、そのような時間がなんとか解消し(3年ぐらい)その状態になった際に、横たわる世の中のくそみそを冷静に見られるような(そして未だに追われれる)目を手にしたとき、その芸術は意味を持っているような気がする。
それは昔のような強い意味合いを持っていなくて、自分の力の一つである(人生経験の方がまっとうに自分を支える。そのサポート機能ぐらいしか持たない。その強力なサポート)
村上龍のコインロッカー・ベイビーズ
大学5年生だったころに経験した日雇いアルバイト
http://anond.hatelabo.jp/20140329153431
最 後のアルバイトの日、その人にだけ今日が最後だと伝えた。 そうしたら「ここが社会の底辺だ。ここでの仕事を続けることができたのだから、どこに行ってもがんばれるはずだ」と太鼓判を押してもらった。 いい思い出になった。 でも、この時の経験以上につらいことがなかったかと言えばそうでもない気がする。会社勤めのほうが辛いことが多い気がする。
を見てて思ったんだが、そういや俺にはいろんな事情で左側に居る人の顔をみるのが困難だった。だからプログラマーという職業なんかになって、どさくさに紛れようとしたのだった。村上龍の本かなんか手に職をつけて生きろとかなんとか書いてあった。この頃の村上春樹はなんでもない、只の上流をふわふわと生きる都合のよい、手合であった。コインロッカー・ベイビーズとか生き抜くための力の書かれた小説が好きだった。
で プログラマーになるためのプログラミングのための環境を作るためにファミレスなどにいってネットワークだの、電源だのを確保するってのでけつまづい た。
で きるバイトは限られていて、この増田のようなバイトをしていた。ネズミ捕りというゴキブリ取りのでかいのに足を取られたり、靴箱にひたすら靴を放り込みな がら、フィリピンのおかーさんっぽいおばさんに怒られたりした。引っ越しのバイトをやって腰を痛めながら、中国人のおっさんと一緒に厨房でタバコを吸いな がら、バイトをした。