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〜コミュニケ/サブカル/音楽/会社人生などを語るをしてみんとして〜

現代はすでに、軌道修正を努力する複雑な形態の努力が一般の人にも求められる?

コレを見て、一概に否定しがたかったので一旦書き散らしてみた

 

現代はすでに、軌道修正を努力する複雑な形態の努力が一般の人にも求められる?

岡崎慎司(愚直な人が才能を徐々に獲得するパターン)/錦織圭(天才が地道な努力を重ねるパターン)〜

 

最近の岡崎慎司 or 錦織圭の活躍とかを見ていて、勝手にこう分類した。岡崎慎司は、「一生ダイビングヘッド」と言われる泥臭いプレーヤーであった。彼は最近は足技を獲得し、大量にゴールを生んでいる。

逆に錦織圭は天才と言われた能力を、マイケル・チャンコーチの地道な特訓と掛けあわせて、一段ステップアップした。

才能を強化する努力に地道さは必要と結論づけると簡単だ。が、私はちょっと違うと考えている。岡崎慎司選手は元々泥臭いだけのプレーヤーではなかった。足技もあり、ただ、それよりも、自分の強みとした泥臭を優先させただけであって、努力6才能4ぐらいのプレーヤーが、努力7才能3ぐらいの見え方をしていただけだと考えている。一旦7の方を強化した後、もともともっていた4を足して、11のプレーヤーと化した。と言った具合に、ただ単なる闇雲な努力をしていただけの選手では絶対にない。

錦織選手はその逆であるが、彼は天才が努力を足したというパターンなのであまり一般化できない。

ただし、愚直な態度が出す結果はあるのでは?〜下手な考えよりやっぱり手を動かす(最初はそう?)〜

1 昔、Numberを読んでいて、長嶋茂雄が水も飲まず1000本ノックをくらい、

  その中でZoneという感覚を取らまえた、という記事があった。

2 スケートの清水宏保もブラックアウトするまで練習を重ねた。

3 「賢いやつはずるをする」愚直にやるからこそ出る結果があるという研究者の声

斎藤孝が書いた本の中に人足の人が歌を歌いながら、単純作業をすることによって、その作業を喜びへと昇華させる事ができたと言っていた。ヘタをしたら、オウムがやっていたことや、狂信を生むのかもしれないが、プラスに転化する可能性もあるのだろう。

単純作業を喜びに変えるミニマリズムもある

現状日本国で禁止の例が発せられている「踊る」という行為にもコレに通づるものがある。ただし、只踊るわけではなく、その中にはミニマル音楽と結びついた快感、エンドルフィン?か何かと結びついた一定の何かがある。

 

といいつつ只の努力が本当に成果を生むのか、考えながら修正するチカラも大事では?

永遠の0が正しいのかどうかはわからないが宮部 久蔵は、「隠れたところで物凄い努力をしている」x「(安易に流されず←むちゃむずい)正しい事を考え貫く」という人物として描かれている。

この人も努力をしながら、ものすごく考えぬいたひとなのだと思う。でも、結局汎化ができていないような気がする。根性のような反復練習も大事だし、それをコントロールする頭も大事だけど、それを両立できるのはかなりすごい人になってしまう?

教育として汎化できないものかというとそうでも無いと思う。このyoutubeの形式は単純に、「(安易に流されず←むちゃむずい)正しい事を考え貫く」をaddすればよいのだろうが、この一定レベルを超えて、その上のレベルで苦闘するような戦いにおいて必要とされてくる。居酒屋メソッドでも一定レベルを超えれてしまうので、(←ただし、現代社会ではこのレベルだけだと戦えないのかもしれない)一部の人には受けてしまうのだろう。ただ、その上のレベルに持っていくためには必要な気もしてしまうし、一概にダメと言えるようなものでもないような気がして、悶々としている。

 

 

恋愛センサーの低いはてな民の皆様向けに解説をしよう(可愛かった場合/可愛くなかった場合)(匿名からの移動)

http://anond.hatelabo.jp/20140413051309

女性が可愛かった場合と可愛くなかった場合で大きくストーリーは異なる

*可愛かった場合

であれば、皆さんのように読むのがただしくて、

村上春樹的なセックス描写を思い浮かべればよいでしょう。可愛い女性と、何故か、一歩踏み出せないが、家には泊まれる関係を築けた増田。可愛い女性なので競合も多いが、かなり気を許せる相手であったので、その競合から、抜け出し、結婚前のマリッジブルーと、タナトス的衝動を受け止める相手として選ばれた増田。

増田の言葉も、不要であった。残念ながら、そういう情緒的なストーリーは尾をひいてしまう????

→あれ?それはなにか問題??? 嘘くさかったから?? でも、そういう場面だよね。いい方が下手だった?


*可愛くなかった場合

残念ながら、こちらの可能性が高い。

はてな市民の皆様はこちらで読んでしまわれていないように思われる。
が、此方の可能性が高い。そうstap細胞がお姫様のようにメルヘンの世界の住人だったように。

要はあまり可愛くないので、増田はこの女性に手を出さなかった。強い動機をもたらす一歩が増田内に無いし、女性が可愛いという強いモチベーションもその場には存在せず、女性も何となくそれを察して、「友達」という時間をキープし続けた。大学というような何の気兼ね無くセックスしたい衝動にかられて生きているような期間においても
男女がセックスをしなかった理由として推定されますね。


で、最後のセックスタイミングにおいて、「ずっと好きだった」あんま可愛くないから、いままで手をださなかったけど、今なら言えるこのクサイワードなんたって、結婚前夜。いままでずっと、友達関係を壊れるのを恐れた(のではなく)(どちらかというと)恋愛関係に至る強いモチベーションがなかった我々の中で、後腐れなく、このワードを言ってしまえば、丸く収まるはず!!!

|д゚)チラッ
ば、バレてしまった。



可愛くない女子が敏感に感じ取るセンサーに引っかかってしまった。。。。
そんな所かな。


ってか、はてな民ともあろうお方がノルウェイ   の森の  レイコさんと   最後にセックス   したのを   覚えて    いないん    ですか????!!!レイコさんはオバさんであまりかわいくないです。

はてな民ともあろう皆様がそんな事も見逃すとは。。。

*追記)村上春樹ときいて駆けつけてしまった

→このエントリの増田です
http://areyoukicking.hatenablog.com/

以上



踊るとはなにか

http://www.yebizo.com/#pg_live

踊ることの根源とは「バッドラック」を追放することである。

 

◯ happy funeral とはなにか → ニューオリンズで黒人のカルチャーに 

                 組み込まれた文化

 

◯ チベットでも、トランス状態に家族で陥る(踊る阿呆に見る阿呆)

 

◯   トランス状態に陥る事とは悪いことでも何でもない

  単振動を繰り返し、人が気持ち良い状態に陥る事は生理的な現象

  みだらでもなんでもない。

 

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女のブログが詰まらない理由を誰か教えてくれ

詰まらないブログを集客する装置としてのはてなが御座いますと。

http://joshi-daisei.hatenablog.com/entry/2014/04/22/233050

ごめん、マジつまんねぇ。本当に詰まらない。

 

整形しました。で始まるブログがあると思えば、このブログだ。このブログの飛んでる感。最初のダッシュ。これがブログだ。こういうブログを俺は見たいし、そうでなければ、見たくない。ブログのような安いクリエーションでギリギリ許される最低ラインってのが、とても低いのが、ブログの特徴である。

 

http://kasuusagi.hatenablog.com/entry/2013/08/22/225106

 

女子大生x暇っていうエクスキューズから始まる短文ブログらしいので、

PVはたくさん集めていると思われる。勿論はてなダイアリーであるので、

非モテを存分に集めた、SE界、AKBが席巻するクールなjapan、で社畜を存分に発揮される国民であれば、PVは集めれるだろう。が、詰まらない事には代わりが無い。

 

暇だわーっていう事であるそうなのだが、詰まらないことには質の問題であるので、暇じゃなくなっても詰まらないだろう。変わりが無い。

 

 

 

 

 

 

 

村上春樹が面白いなと思ったきっかけ 〜村上春樹の成功ジャーニーのもたらすプラス作用 〜

18. 人生は楽しむものであって、耐え忍ぶものではない。

ゴードン・B・ヒンクリー(モルモン教第十五代大管長)

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http://aniram-czech.hatenablog.com/entry/2013/11/02/111443

村上春樹のアンチとシンパ(って言葉がすでにアレですが)を書いておられるすごい納得感のある記事でした。

 

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村上春樹の胡散臭さから来る遠ざかりと、比喩のうまさ、言葉の使い手への引きこまれ

私も(といっても、すでに20ユーザの方にしか見られていない小さな主語ですがネ、haha)村上春樹は最初は村上春樹が好きな奴が嫌いというこれまたよくある理由で嫌いでした。確かにノルウェイの森を直ぐに読んでやめたような、という理由と、村上龍のゴリゴリのハードボイルドの方がはるかに気分にあっていたという所があります。

 

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村上春樹がウイスキーがわざわざイラつくようなわけわからん名盤を女と一緒にのんでいるような情景で描くとすると、村上龍は、ウイスキーの瓶の破片で傷作って、そこに破片を更に塗りこんで、絵の具を塗りこんで、傷口をタナトスで、縛り付けましたみたいな?意味不? いるような、そういう漢な小説を、ゴリゴリ、強烈に書き続いっているのがすきだったという点です。

 

大学3年ぐらいになり、村上春樹を読んで思ったのは、wikiにもある、比喩のジャンプの距離の見事さです。

 

◯を✕のように、の◯と✕の関連性のなさをひもづけるジャンプの距離の大きさの連発っぷりを、例えば、私が関西の子供として感服した、お笑いの今田が、話す言葉がすべて、面白さを含んでいるような見事さ、私が音楽の分からない大学生として聞いた、アジカンが貫いたような、1曲目から13曲目まですべて、名曲みたいな、偉大な人に見られる、外すことのない、面白さの連続の強烈さであったような気がします。

あとは普通に、ペニスとかいいながら、それがエロへと発展していく裏切らなさと、全体的に意図的に抜かれた日常のゴタゴタしためんどくさい市井の民が抱える、あれやこれやを煮沸して、ただただ、軽やかに成功が連続して(鬱だったりなんだったりと、文学的におしゃれな失敗は存在する)行くという形。これがすごく一時期助けになった。

日本に漂う失敗の先に成功があるというよくわからん巨大な嘘

 大学の時、なんとなく地にまみれる活動というのをやってみた。厳しいバイトとかをやって、厳しい体験をして、なんか得られるとか。が、思ったのだが、失敗というか、うまく言っていない体験を積み続けると人間まじで、どうもこうもいかんくなる。

軽やかに成功してしまう。これが実は人にとってすげー大事。特に、何となく世の中的にには、厳しい思いをして、一人前になるという発想がある。

成功しない、苦難と、リア充がいない、日本文学 & そもそも成功体験もなんもない国語科のセンコー

我々はセンター試験の国語科や、三島ハラキリ先生(この先生も敢えてしていた)、夏目先生、皆とりあえずリア充には程遠い生活を送る、艱難辛苦を、うつうつと書き散らす、コレがブンガクであると我々は教え込まれる。

軽やかに成功したりするとまるでバチが当たるかのような勢いだ。残業大好き、特攻大好き。成功する保証を彼らが持っているわけではないが、とにかく教科書的にはそういう文脈。辛さ、痛さ、傷あたり大好きな日本のJ-pop((笑))←浜崎あゆみ大先生

これらにまみれていると一体何が大切なのか分からなくなる。クソにまみれて、その後に成功するという物語じゃなくて、いきなり10人でじゃんけんしている所を一人で勝ち抜いて、ぶっちぎるといった、そういう人生観(感)、突き抜け感というのをとになく教わってこない。

とにかく成功(性交)するという勝ち組って重要なんじゃ?

村上春樹はコレだと思う。いきなり鬱々としながら、成功しまくる。彼が好きだというグレート・ギャッツビーがこれにあたのだろう。

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そもそも日常的に我々、小学生から、成功しない体験をたくさん浴びせられる。上がいて、上がいて

 

その体験を積み上げた先に何があるのかというと、特に何もない。一番大事なのは成功した人を真似ることであって、そのアレンジ時に失敗をして、自分流に事を進めるのはありだが、いきなり失敗のゴミ山とクソみたいな嘘の成功像 ←クソ芸能人、文化人、no nuke のおっさん、くそJpopのゴミ山を見せられて、すごい遠回りをぶっこかされる。

村上春樹は意図的にだと思うが、それらを煮沸して、嘘くさいサイドに振りきれるまで、すげー生活を書き込んでいる。でも、このようなストーリーってみんなすげー憧れてんじゃん。オシャンティすぎるブンガクで色付けされていなかったら、このストーリーって成功をイメージする(うそでも)一つのイメージ像になるんじゃないかと